ブルース・リー

ブルース・リーは本当に強い?動きやスピードを検証!

 

今回は「ブルース・リーは本当に強い?動きやスピードを検証!」についてお伝えしていきます。

ブルース・リーが本当に強いのか?というのは永遠のテーマですよね。

実際にブルース・リーの動きやスピードは人々を驚かせてきました。

映画での迫力があったからこそ、いまでも人々を魅了し続けているのです。

あの肉体をみても、それは日頃の訓練、練習の積み重ねであり、それだけでも十分強いと言えるでしょう。

格闘のセンスを見ても、抜群の切れ味を感じさせます。

そんなブルース・リーの実践試合から、彼の強さを検証していきます。

是非ご覧ください!

 

ブルース・リーは本当に強い?実戦から検証!

さて、ブルー・リーの強さに懐疑的な人もいることでしょう。

現代では彼は通用しないといった発言も目立ちます。

そんな映画俳優でもあり、ジークンドー創始者というブルース・リー。

実力はどれほどだったのか?

彼の過去を調べてみました!

 


調べていくと、ブルース・リーが高校生だったころ、学校の先生からボクシングチームに参加するように勧められたそうですね。

それは彼が不良少年だったことが関係しているようで、学校でも外でもケンカやトラブルが絶えなかった彼のエネルギーをスポーツに向ける意図があったのでしょう。

当時のブルース・リーは詠春拳を習っており、ボクシングの練習はほとんどしなかったようです。

ということは、詠春拳の技術のみで試合に参加したことになります。

当時の彼はケンカで詠春拳を使っており、ボクシングの試合でも詠春拳が勝てると思っていたのです。

1958年3月29日

高校生ボクシング​​トーナメント開催

全12校が試合に参加

予選試合3戦を行う

ブルース・リーはすべての試合を1ラウンドK.O勝ち

ファイトスタイルは詠春拳

決勝戦

3年間連続チャンピオンのイギリス人が対戦相手

詠春拳の技術を用い、1ラウンドでK.O(3ラウンドという話もあり)

当時の映像がないため、細かいことは不明ですが、情報として出回っているものを集めてみました。

ボクシングチャンピオンに勝利したことは間違いないようです。

ということはブルース・リーは高校ボクシングチャンピオンですね!

ついでに説明すると、香港チャチャ選手権、ダンスのチャチャもチャンピオンです!

 

1962年、ブルース・リーは月謝制の武術スクールを開設します。

その名称は振藩國術館(ジュンファン・グンフー・インスティテュート)。

ブルース・リーの本名はリ・ジュンファン。

振藩功夫(ジュンファン・グンフー)を教えるための場所、ブルース・リー式・カンフー・研究所といった感じでしょうか。

上記のTwitter動画の相手は、ブルース・リーのトップクラスの弟子、親友の一人として知られるターキー木村氏。

ターキー木村氏は、ブルース・リー自身が個人的に認定したジュン・ファン・グンフーの認定インストラクターなんですね。

そんな振藩國術館の時代、Y.M.C.Aシアトルのジムで実践試合が行われました。

日本人空手家(黒帯)が挑戦してきたという話なので、道場破りというか、ブルース・リーが気に食わなかったのでしょう。

1962年

日本人空手家(黒帯)と対戦

11秒でK.O

詠春拳のジク・チュン・チョイというストレートの連打攻撃で倒す

倒れた相手の頭部を蹴り、相手を完全に叩きのめす

詠春拳のチェーンパンチ(ジク・チュン・チョイ)は下記の動画を参考

映画死亡遊戯

弟子であるダン・イノサント氏は死亡遊戯に登場しているが、ターキー木村氏も死亡遊戯の撮影再開時に出演することになっていた

ブルース・リーは木村氏映画出演のため、彼に香港行きのチケットを送っていた

 

1964年

第2の振藩國術館を開設

地元の中国武術家達からのクレームを受ける

ブルース・リーはそれに反発

刺客として送り込まれたウォン・ジャックマン(白鶴拳)と実践試合を行う

結果はブルースリーの勝利

ジク・チュン・チョイで攻めたが、相手が逃げ廻り、倒すまで約3分間もかかってしまう

この試合がきっかけで心肺機能向上と機動力向上の必要性を痛感する

相手を思うように倒せなかったことから、中国伝統武術の技術に疑問を抱く

これらの結果からブルース・リーはジュンファングンフーとは違う、ジークンドーを創始していくことになる

Showdown in Oakland: The Story Behind the Wong Jack Man

という名称の、ウォン・ジャックマンの長年の弟子が書いたとされる本があります

この本のウォン・ジャックマン側からの視点によると

  1. 試合はブルース・リーから挑戦してきた
  2. ウォン・ジャックマンの円の動きにブルース・リーは対応できなかった
  3. 試合は引き分けで再戦の予定があった

などの意見がありました

結果的に訴訟したようですが、試合はウォン・ジャックマンが負けたとされています

この本の内容は、ウォン・ジャックマン側が無理やり作った話なのではないかと思われても仕方ないでしょう

 

ブルース・リーの動きやスピードはどれくらい速かった?

撮影の技術についてはよくわかりませんが、ブルース・リーのスピードは普通ではないということを言っていますよね。

これは映画撮影の関係者の話ですので、参考になると思います。

実際、ブルース・リーは人の目で確認できないスピードで攻撃しているようで、映像では一発に見えても実は二発入っていたりと、想像以上のスピードを持っているのは間違いありません。

言葉で語るより実際に見た方が納得できるでしょう。

ブルース・リーの動画を集めてみました!

 

ブルース・リーの二段蹴りは速かった!

動画を見てみると、やはりブルース・リーは格闘家だったのが動きで分かるのではないでしょうか。

体幹のブレを全く感じさせません。

前蹴り、股間蹴りで相手の意識を集中させ、三発目にはフェイントを入れ、頭部への上段蹴りに変化させています。

こういった技術はジークンドーにありますし、スピードもまた速いといえる蹴りではないでしょうか。

 

ブルース・リー『鶴の型』・動きや蹴りも速い

こちらは映画か何かのオーディションでの自己紹介でしょうか?

鶴の型と呼ばれる演舞をしています。

この映像を見るに、ブルース・リーはだいぶ若く見えますね!

ジークンドーを創始する前だと思います。

それでこの動きですから、ここから彼はどんどん進化していったわけです。

単純に考えても、この時の映像より、パンチやキック、フットワークなど速くなっていったのは想像に難しくありませんね。

 

ブルース・リーは本当に強い?動きやスピードを検証!:まとめ

今回は「ブルース・リーは本当に強い?動きやスピードを検証!」についてお伝えしてきました。

ブルース・リーは現状に満足はせず、「自分より速い奴はいる」と考えて、常に上を目指していたのです。

ここの思考がやはり常人と違うのだと思います。

それだけの努力をし続けることが、ブルース・リーを変えていったのです。

身体を鍛え上げ、格闘技術の研究や実戦での練習、ジークンドーを創始し、俳優業もこなし、一人の父親として家族を養い、完璧を目指したのだと思います。

あの鍛え抜かれた背筋を見るだけでも、彼の強さが垣間見れます。

私はブルース・リーは本当に強いと断言します。

きっと今でも十分通用する格闘家だったでしょう。

動きやスピードについても、常識では考えられないものでした。

その彼のジークンドーは現在も生き続けています。

上記のTwitter、ヒロ渡邉さんと石井東吾さんの動画も是非ご覧くださいね!

それではここまでお読みいただき、ありがとうございました。