パニック障害

パニック障害の原因は母親にあった?克服した私の体験談

 

今回は「パニック障害の原因は母親にあった?克服した私の体験談」についてお伝えします。

パニック障害というと、どのような病気を思い浮かべるでしょうか?

この病気は非常に理解されにくいかもしれません。

見た目ではなかなか分からないと思いますが、かかった本人は辛い症状のため、人生を悲観し、自殺まで考えてしまう恐ろしい病気なのです。

ここでは私がパニック障害を発症した経験を元に、どのように克服まで持っていったのか。

原因は本当に母親にあったのか。

パニック障害を発症した私による体験談をお伝えします。

あなたにお伝えしたいことは、今本当につらくても、諦めないで下さいということです。

こうしてパニック障害から立ち直って、一人で生きている人間がいるということ知ってくれたら幸いです。

 

パニック障害の原因は母親にあったのか?

さてなぜ、パニック障害の原因は母親にあったのか?という疑問を持ったのかというと、私の母親は統合失調症という病気だったのです。

まずは統合失調症についてお伝えします。

 

私の母親は統合失調症を発症した

自分が他者からコントロールされていると考え、思考、知覚、感情、言語、自己の感覚、および行動における他者との歪みによって特徴付けられる症状を持つ、精神障害の一つである。青年期以降に後天的に発症し、服薬などの治療をしないと症状は徐々に悪化または再発していく特徴がある

統合失調症患者の症状には、幻覚や妄想、会話や行動における統合喪失、突然興奮や大声などの陽性症状、周囲への無関心や意欲や集中力の低下といった陰性症状がある。この精神障害は「統合失調症スペクトラム障害」の一つであり、症状が進行しやすい。日本では2002年(平成14年)まで、精神分裂病(せいしんぶんれつびょう)と呼称されており、2002年から「統合失調症」という呼称に改訂された。

引用:統合失調症」(2023年11月13日 (月) 08:32 UTCの版) 『ウィキペディア日本語版』

昔、精神分裂病と言われていたように、私の母親はまさにその言葉が当てはまるような状態でした。

特に妄想や幻聴が酷く、盗聴されていると本気で信じていたので、その盗聴しているという人物に一人で会話をしているのです。

母はピアノの先生だったので、自身の練習の時、ピアノを引きながら誰かに向かって喋っているという奇怪な行動を毎日することになります。

もうそれは悲惨なものです。

それを見ていた私はとても胸が苦しくなり、何度も何度もやめてくれと言いました。

しかし、母親は聞く耳持たず、自身が満足するまで、盗聴されていると思い込んでいる相手に攻撃的に喋り続けるのです。

これでは近くにいる者も、精神的に疲弊していくのは理解できると思います。

私は母親に治って欲しかったですが、母は頑なに「私はおかしくない」と言い張り、病院に行くことは拒んでいました。

 

パニック障害の原因は母親との関係性にあることも多い

パニック障害(パニックしょうがい、英語: Panic disorder ; PD)とは、予期しないパニック発作(Panic attacks, PA)が繰り返し起こっており、1か月以上にわたりパニック発作について心配したり、行動を変えているという特徴を持つ不安障害に分類される精神障害。

きっかけのないパニック発作は、4つ以上の特定の症状が急速に、10分以内に、頂点に達する。典型的な悪化の仕方では最終的に広場恐怖症へと進展する。まれに幻聴や幻覚が起こることで知られるが、統合失調症ではない。

引用:「パニック障害」2023年10月24日 (火) 02:24 UTCの版 ウィキペディア日本語版

パニック障害とは、簡単に言えば胸が苦しい、動悸、痙攣や震えなどの発作が非常に苦しいため、発作が起きるかもしれないという不安により、行動が制限されてしまう病気です。

その発作で死ぬことはないのですが、発作中の本人はとても苦しいため、本気で死ぬのではないか?と思い、その発作が怖くなってしまうのです。

それにより、発作が起きた場所が怖くなったり、発作そのものが恐ろしいので、家から出られなくなります。

私はこの病気でもひきこもりになりました。

過去がパニック障害と関係あるか分かりませんが振り返ってみると、幼少期のころ、寝てる間に家に一人にされた経験を思い出しました。

その時はものすごく怖くて、母親が帰ってくるまで泣いていた記憶があります。

塾に無理やり通わされたり、朝早くから勉強を強要されたり、偏差値が高い学校に受かることを希望されたり、こういう面でのプレッシャーも感じて育っていきましたね。

父には殴られたこともあり、また母親にはベルトで体を縛られたこともあります。

あのベルトで体を縛る行為は、はっきり言って虐待であり、今でも覚えています。

こういった親によるしつけが、子供にプレッシャーを与え、それがパニック障害のきっかけの一つになっているのかもしれません。

私の両親は、子供に自由に育ってもらうというよりも、運動よりも勉強、いい学校に入ることが大事といったように、子供に勉強を強要する親でした。

私はこの育て方が正しいとは今でも思えません。

 

パニック障害の発作や内容は?

パニック障害の発作はどのようなものなのでしょうか?

これを説明しても、経験者でないとなかなか理解できるものではないと思います。

それでは細かく見ていきましょう。

 

パニック発作

パニック障害患者は、日常生活にストレスを溜め込みやすい環境で暮らしていることが多く、発作は、満員電車などの人が混雑している閉鎖的な狭い空間、車道や広場などを歩行中に突然、強いストレスを覚え、動悸、息切れ、めまいなどの自律神経症状と空間認知(空間等の情報を収集する力)による強烈な不安感に襲われる。症状や度合は、患者によって様々だが軽度と重度の症状がある。しかし軽・重度患者ともに発作が表れる時に感じる心理的(空間認知など)印象としては、同じような傾向が見られ、漠然とした不安と空間の圧迫感や動悸、呼吸困難等でパニックに陥り、「倒れて死ぬのではないか?」などの恐怖感を覚える人が少なくない。先に挙げた自律神経症状以外にも手足のしびれや痙攣、吐き気、胸部圧迫のような息苦しさなどがあるが、それ自体が生命や身体に危険を及ぼすものではない。

引用:「パニック障害」2023年10月24日 (火) 02:24 UTCの版 ウィキペディア日本語版

私が初めてパニック発作を感じたのたは、パチンコ屋の店内でした。

当時私は、スロットで生活をしていたのです。

スロットの収入が全てでしたので、毎日スロットと向き合う生活。

今でこそ、パチスロ系YouTuberなどが存在し、スロットは昔より理解されるようになったとは思います。

しかし、当時は後ろめたさを感じて毎日過ごしていました。

だって仕事をしていないんですからね。

いつしか、なんのために生きているのかよく分からなくなり、スロットを打ち続ける生活に疑問を感じます。

勝ち続けることにより、パチンコ屋からは嫌われ、ライバルとは台の取り合いの生活に疲れていたのかもしれません。

視線恐怖という病気があるように、視線を過度に気にしていた時期でした。

パニック障害の前兆というか、視線を異常に気にしていましたね。

普通は気にしないことですが、この視線恐怖という状態がすでに精神病だったと言えます。

特にスロットを打っていると、何時間も同じ台で遊技するわけですから、店員には顔を覚えられ、常連にも覚えられるわけで。

目立ちたくなくても、勝手に目立ってしまうのです。

そのためか、視線が怖くなっていき、常に緊張しているような状態でスロットを打っていたので、それはすごいストレスだったに違いありません。

目立ちたくなくても、ビッグボーナスを引くと大きな音が鳴るので、勝手に目立ってしまいます。

そんなことを気にしながら打っていたある日、その時に発作が出るようになりました。

これはもう、この生活ができなくなる事を意味し、私は恐怖からパチンコ屋に通うことができなくなったのです。

 

予期不安

患者は、パニック発作に強烈な恐怖を感じる。このため、発作が発生した場面を恐れ、また発作が起きるのではないかと、不安を募らせていく。これを予期不安という。そして、患者は神経質となりパニック発作が繰り返し生じるようになっていく。

引用:「パニック障害」2023年10月24日 (火) 02:24 UTCの版 ウィキペディア日本語版

この予期不安の説明通り、私は発作が起きた場所が怖くなりました。

またそこに行ったら、発作が起きるのではないか?と。

こういう思考になるので、行動が制限され家にひきこもることになります。

とにかく発作が異常に怖いのです。

今度は違う場面、バスに乗っていた時です。

そろそろ降りる場所が近づいてきたのですが、なぜか異常に怖くなりました。

勝手に発作が起きるかもしれないと思い込むようになり、気分がどんどん悪くなります。

降りる際、料金を払いますが、当時私は現金で払っていましたので、その現金を払う行為の時に恐怖を感じ、手は震えていました。

今思うと、何が怖かったのかと、笑い話にできますが、あの時は死ぬほど怖かったのです。

発作が起きることを過度に恐れ、そのため異常に緊張して精神がおかしくなっていました。

 

広場恐怖

パニック発作の反復とともに、患者は発作が起きた場合にその場から逃れられないと妄想するようになる。さらに不安が強まると、患者は家にこもりがちになったり、一人で外出できなくなることもある。このような症状を広場恐怖(アゴラフォビア)という。広場恐怖の進展とともに、患者の生活の障害は強まり、社会的役割を果たせなくなっていく。そして、この社会的機能障害やそれに伴う周囲との葛藤が、患者のストレスとなり、症状の慢性化を推進する。

引用:「パニック障害」2023年10月24日 (火) 02:24 UTCの版 ウィキペディア日本語版

もう完全にひきこもりです。

発作が怖いので、行動できないんです。

そして家から出るのが怖くなります。

こうなってしまうと、社会に戻るのが非常に困難になるでしょう。

私はスロットで生活していましたから、その時点で一般的な社会人とは違うので、そこからの社会復帰も難しいというのに、パニック障害でさらに難しい状態となっていました。

体験しないとわからないと思いますが、本当に怖いんです。

発作が起きることが怖くて怖くて仕方ありませんでした。

もう本当に人生を悲観していましたね。

 

パニック障害を治す方法は?

いったい自分には何が起きているのか?

この異常な状態は自覚できましたので、まずは病院に行ってみることにしたのです。

明らかに精神病であろうと自覚していました。

ここからは病院での話になります。

 

心療内科の女医が最悪だった話

こちらは笑い話として聞いてください。

最初、何科に行けばいいのか、迷ったというか、間違えたというか、私は心療内科に行きました。

名前は伏せますが、大きな病院で、様々な科がある病院です。

そこで私は苦しいながら、現状を説明したのですが、その女医は迷惑そうな対応で、こちらの科ではないですねという返事でした。

本人はめちゃくちゃ苦しくて、何の病気かもよくわからず、無理して病院にきているというのにその対応はいかがなものかと…。

私が言うのもなんですが、あれは医者失格ですよ。

ここじゃ分からないから、精神科に行ったらどうですか?という内容だったと思います。

本人は本当にめちゃくちゃ辛くて、今にもおかしくなりそうだから、いますぐその日に診てもらいたかったのです。

辛そうだというのは、その先生にも伝わったはずです。

しかしその先生は精神科に連絡してくれることはなく、後日行くことになりました。

被害妄想などではなく、本当に迷惑そうでした。

医者という存在全てが、思いやりのある対応をしてくれるか、というのは間違いだといういい例だと思います。

本当に様々な医者がいます。

いい医者の情報を調べる、もしくは人に聞くなどしてから行った方がいいかもしれません。

思い出すと腹が立つ内容ですね笑

 

精神科に行ってみた

私はもう限界でした。

あのまま何もしないで生きていくことはできないし、母親は統合失調症で相談できない。

離婚している、仲も良くない父親には連絡しようとは思わない。

改めて一人で精神科に行ってみることにしたのです。

まさか、自分が精神科に行くことになるとは夢にも思いませんでしたね。

精神科の第一印象はやはり暗い、どよーんとしているというか、空気が重いのです。

なんででしょうね?

やはり人から出ているエネルギーが関係していると思います。

だって明るい元気な人がたくさんいる場所だったら、そんな空気にはならないじゃないですか。

さて、精神科の先生ですが、男性でそこそこ高齢な方でした。

私としては、自分が病気だったと分かり、薬で回復するならという思いで、少し安心したのを覚えています。

実際はそんなに簡単ではないのですけどね。

「やっぱり病気で間違いなかったんだ、ここへ来て正解だったかな…」

病院に行き、治る希望を持てたことが、あの時は本当に救いでした。

 

薬を飲み始めた

精神科の先生との会話の中で、自分の状態を伝え、これからどうしていくのか、どうしたら治るのか相談していきました。

当時の私は、パニック障害で日々苦しんでいる状態なので、とても視野が狭くなっていたでしょう。

そして、パニック障害の恐怖から行動が制限されていました。

薬で治すのが正解なのかは分かりませんが、やはり薬が処方されますよね。

薬を調べていて思い出しましたが、パニック障害とうつ病は近い関係にあるかもしれませんね。

どちらが先かは人によるでしょうが、パニック障害を発症した場合、そのあまりに辛い恐怖体験から、うつ病になってもおかしくはないと経験からそう感じます。

 

精神科通院と投薬を繰り返す日々

最初の薬で覚えているのは非常に副作用が強いため便秘になりまして、それは普通の便秘ではありませんでした。

酷いときにはトイレに1時間使っても出ないなんてことがあり、本当に辛かった記憶があります。

最初処方された薬は、パニック障害に効果的だったかという点で、効果的ではなかったのです。

最初の担当の医者の診断は、私を自律神経失調症と決めつけ誤診であったため、薬も病気に適した物ではありませんでした。

これでは治るものも治りません。

これはどの病院でもそうですが、全ての医者が正しいとは限らないし、間違った対処をしたり、話をまともに聞かなかったり、色々な人間がいるのです。

あなたがこの医者は合わない、この医者の言うとおりにしても治らない、というのであれば早急に病院を変えるか、他の先生に変えることをおススメします。

 

パニック障害を克服できたのはなぜなのか?

最初の医者の診断が間違っていたと気づいたのは、新しい先生に出会えたからです。

誤診をしていた医師が病院を離れなければ、私はそのまま間違った投薬を続けされていたかもしれません。

 

担当の医師が変わった

最初の担当医師は病院を辞め、他の病院に行くことになったため、引継ぎをしておくという話でした。

引継ぎをしておくという話だったのですが、引継ぎはできておらず、とても残念だった記憶があります。

本当にこれだけは言えますが、病院には様々な先生がいるので、合わないと思ったらすぐ変えた方がいいと思います。

そこに費やす時間が非常に勿体ないのです。

さてなんとかその病院で次の先生と出会うことになるのですが、治療が終わった現在もその先生の所には半年に一回ほど通っており、本当にあの先生で良かったと思います。

あの先生に出会えて私は助かったと言っても過言ではないでしょう。

私の病気はパニック障害であると、今使っている薬は間違っていると、しっかり説明をしてくれました。

この薬はこうだから、こういった症状に効くとか、こういう時にはこの薬を飲んでとか、細かく説明してくれた記憶があります。

その薬は抗うつ薬のSSRIというものでした。

 

抗うつ薬SSRIを飲み始めた

薬には副作用が付き物だと思いますが、パニック障害を薬なしで治す事は、なかなか難しいのでしょうか。

私の選択肢は精神科に通うしか思い浮かばなかったので、治療の道は新しい先生を信頼し、薬を飲む事でした。

SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の解説

薬の効果と作用機序
  •  脳内の神経伝達を改善し、意欲を高めたり、憂鬱な気分などを改善する薬
    • うつ病では脳内のセロトニンなどの神経伝達物質の働きが不調となり、意欲の低下、不安などの症状があらわれる
    • シナプス前終末から遊離(放出)された神経伝達物質は、自身の受容体へ作用(結合)することで情報が伝達されるが、遊離された神経伝達物質の一部はシナプス前終末へ回収(再取り込み)される
    • 本剤は脳内でセロトニンの再取り込みを阻害しセロトニンの働きを増強することで抗うつ作用などをあらわす
  •  本剤はセロトニンの働きが深く関わるとされる強迫性障害やパニック障害などに使用する場合もある

引用:日経メディカル

私に処方された薬はジェイゾロフトというものでした。

この薬を飲むことにより、症状は落ち着いていきます。

しかし、長年社会から離れた生活を送っていた影響もあり、社会に対する恐怖は拭えませんでした。

しかし、いつかは社会に出なければなりませんよね。

そういった事も、徐々に話せるように回復していったのは事実ですが、まだまだ自立できるような状態ではありませんでした。

こういった辛い時期は、記憶が曖昧になっていたりすることも多いかと思います。

辛い記憶は忘れたい、思い出したくはないものです。

薬の話に戻りますが、最初飲んでいたジェイゾロフトを途中から、デプロメールに変更するという話が出てきました。

その理由は思い出せないのですが、変更してしばらく経った日から、副作用が強烈に出てきたのです。

イライラし落ち着かない、といった内容です。

何が理由かと言われても、それは薬の影響だったとしか言えません。

イライラして叫んでしまうという状態でした。

一人、自分の部屋で「あー!!うわー!!」と叫んでいたのです。

はっきりいって普通ではありませんよね笑

私の例を見ると、こういった薬には非常に危険な副作用があることが分かると思います。

もしかするとちょっとしたことで暴走してしまう状態だったかもしれません。

その状態を我慢というか、自分でもおかしいと自覚していましたが、その先生を信じて服薬はやめることはなく、継続していくうちに症状はなくなっていきました。

 

認知行動療法

さて、薬と先生との会話を進めていくうちに、症状は徐々に良くなっていきました。

パニック発作が出ることがなくなっていったのです。

これは次のステップに移るチャンスです。

そもそも私は社会に出るのが怖いという思いが根底にあったため、それがいわゆる社会恐怖というものなのでしょうが、それを治さないと一人の人間として生きていけません。

先生はそこを真剣に考えてくれていたと、そう感じます。

パニック障害を克服し、一人で生きていける力を身につけさせる。

そういった助けが、認知行動療法だったのだと思うわけです。

まだまだ甘えていた私は、ここで次のステップに行くことを躊躇します。

今思うと、なにがきっかけで認知行動療法をしてみようかと思ったのかは忘れました。

しかし、少しでも前に進みたい、現状から変わりたい、という思いはあったのでしょう。

ここから成長しないと、この先ずっとこのままになる。

現状維持ではダメだ、頑張らないといけない。

こういう考えになれたのも、あの先生に出会えたからです。

本当に人との出会いは大切だと感じますね。

認知行動療法についてですが、このままここで話を続けると長くなりますので、認知行動療法については次回、まとめた内容をお伝えしようと思います。

 

パニック障害の原因は母親にあった?克服した私の体験談:まとめ

今回は「パニック障害の原因は母親にあった?克服した私の体験談」についてお伝えしました。

こういった私の体験談を書くことはとても抵抗がありましたが、こういった一つの事実と経験から、今同じような病気で苦しんでいる方の力になれればと思い、記事を書いてみました。

一人の人間が、パニック障害になり、一時は死も考えた。

しかし、周りの助けもあり、パニック障害を克服し、こうしてブログを書いています。

母親との関係は最後まで良くはありませんでした。

原因が母親にあったのか?そう考えるのは簡単ですが、自分の行いにも関係があると思います。

人生は嫌なこともたくさんあるけれど、良いこともたくさんあります。

そして、良い人との出会いにより、考え方に変化が生まれ、自分の人生が変化していくこともあるでしょう。

今苦しくとも諦めないで下さい。

本当に辛いときは人を頼っていいのです。

あなたの人生が良い方向に向かうことを願っています。